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継承と革新を続ける「徽商文化」
3/19/2021 4:59:34 PM  文/『人民日報海外版日本月刊』記者 王亜囡
 
 

徽商(明・清代の現安徽省を拠点とした商人集団)はかつて、中国の三大商人集団の一つに数えられた。それぞれに筆頭としての自負があり、ランク付けすることはできない。そして、その負けん気が、彼らが長らく栄えてきた原動力でもある。

中国の歴史の中で生まれた商人集団には、それぞれに独自の文化がある。中でも、安徽人の故郷を淵源とし、先達たちの血と汗、商い、知恵によって築かれてきた「徽商文化」を、より尊び、守り、発揚し、発展させたいと願うのである。

一、徽商のDNAと「徽商文化」の基底部

徽商なくして「徽商文化」は存在しない。従って、「徽商文化」を語るには徽商の発展の歴史を遡る必要がある。

歴史書を繙くと、驚くべき数字を目にする。中国封建社会における科挙制度が始まった西暦606年(隋・大業二年)の徽州(現・安徽省南部)の人口は、わずか6154戸である。唐の玄宗皇帝が、千百年前に安徽省・蒙城で生まれた荘子に「南華真人」の追号を与えた742年(唐・天宝元年)年には3万8320戸となり、百年余りで6倍にも増えている。さらに、政治改革を指導した王安石が宰相を罷免された1078年(北宋・元豊元年)には3倍の12万7203戸となった。専門家によれば、南宋の時代に50万人を超え、元の時代には82万人に達し、明・清代も増加の一途を辿ったのだという。

人口と戸数の増加に伴い、労働力資源も豊かになった。それは、本来は喜ぶべきことであるが、徽州の限られた地理的条件の下では、豊富な労働力を現実的に経済利益に結び付けることは困難であった。働かなければ財は果ててしまい、座して死を待つこともできない。徽州の人々は、自身や家族が生きていくための空間を探し開拓しなければならなかった。そして、清・康熙帝時代に編纂された『徽州府志』にもある通り、「天下之民寄命于農、徽民寄命于商」(天下の民は農に従事し、徽州の民は商いに従事する)の情景が生まれたのである。今日我々が徽商について語る時、「徽」と「商」の結び付きを忘れてはならない。徽商は、持続的な発展が望めない地理的条件、衣食に事欠く経済的に困難な時代、生きていくために故郷を離れて生計を立てなければならない厳しい環境を経て誕生したのである。

徽商は決して経済的繁栄の下で花を咲かせたのではなく、厳しい環境の中で生まれたのである。困難な環境下で発想を転換する。これこそ徽商のDNAであり、「徽商文化」の基底部である。

二、徽商は「商い」によって「国内大循環」経済へ参入

徽州は、決してすべてが痩せた土地で、物産に乏しいというわけではない。今日も、多くの徽商たちが徽州の特産品を淀みなく列挙することができる。例えば竹木である。「休寧の山には良質の杉が育ち、農業は稀であるが、林業は盛んである」と言われる。次に祁門紅茶がある。祁門県は茶産業が盛んで、土地には余すところなくお茶が植えられている。さらに陶土がある。景徳鎮の磁器は世界的に有名であるが、景徳鎮で陶土は産出しておらず、婺源県と祁門県の山から産出したものが使われている。徽州の山々が山岳経済と繋がり、独自の手工芸品を生んだのである。安徽の「文房四宝」(紙、墨、筆、硯)も山と関係が深く、その名は全国に知られる。これらの特産品も徽州に留まっていれば儲けにはならない。外に出せば広大な市場がある。どれほど多くの徽商の先達たちが、故郷の特産品を商いすることで、「国内大循環」経済に参入していったことだろう。

「流動」と「商い」が徽商の「草の根の逆襲」であり、根本的手段と言えるであろう。

三、「徽駱駝精神」は「徽商文化」の精髄

安徽と言えば、胡適に触れないわけにはいかない。胡適の安徽に対する貢献は、駐米大使在任中、アメリカのルーズベルト大統領に故郷の「胡適一品鍋」を献上したことにとどまらない。胡適は、徽商の精神を「徽駱駝精神」と名付け提唱したことで知られる。

徽州産のラクダなど聞いたことがないと疑問に思った者が「胡博士、ラクダの鈴の音はいつになったら徽州に鳴り響くのでしょうか?」と尋ねたという。しかし、「徽駱駝」の概念は早くから徽州の人々に受け入れられており、先駆性と進取性に富み、不撓不屈で忍耐強い安徽人の比喩として定着し、安徽人のタフで粘り強く勇敢な生命力を体現し、「徽商文化」には不可欠なものとなっている。

ラクダは、ひとたび茫漠たる砂漠に足を踏み入れると、畏れなく、粘り強く、着実に、果敢に、命を賭して極限まで挑む。オアシスに向かって、希望に向かって、一歩一歩着実に進む。「徽駱駝」は、「十三、四歳になると、遠方へ商売に出掛け」、「十三歳まで故郷で暮らし、十七歳ですでに天下を遊歴する」と言われる徽商を巧みに表現している。故郷を後にした「徽駱駝」は、ある者は故郷の森林資源と自らの労働によって、ある者は先祖からの財産を売り、ある者は婚姻関係を結び、ある者は委託経営や融資によって、ある者は質入れをするなどして資金をつくり商いをした。役人や官僚と付き合って資金を得る者さえいた。こうした、形にこだわらない、人それぞれに異なる、土地の状況に応じた資金の調達方法は「徽駱駝精神」を色濃く反映している。それはまた、「徽商文化」にとって不可分の要素である。

四、徽商文化の文化的寛容性

紙に文才を載せ、墨に風流を含ませる。文房四宝を生んだ安徽人の文化的素養は他の追随を許さない。唐代後期から両宋代にかけて、新安四宝と称される、澄心堂紙、汪伯立筆、李挺珪墨、龍尾硯が天下に名を馳せた。明・清代になると、文士才俊たちが、宣紙、徽墨、徽硯、銘茶などを精神の伴侶として競って求めるようになり、安徽の巷間で文化の韻律を奏で合った。

賈而好儒(賈にして儒を好む=商人でありながら儒学も好む)は、徽商文化の誇るべき特質であり、徽州は「東南小鄒魯」(孟子は鄒の人、孔子は魯の人であることから文教の盛んな土地の意)と称される。「富んでなお学問を疎かにしない」。貧富に関係なく、安徽人は常に学問することを第一義とする。

書院や社学が林立する徽州では、明代には、科挙制度において452人の文進士と56人の武進士が誕生している。清代には、徽州だけで19人の状元(主席及第者)が誕生し、全国の17%を占めた。康熙朝の『府志』によると、徽州府には562の社学と54の書院が存在した。

外国人を魅了する京劇は、北京に入城した「徽班」を淵源とする。「徽班」は揚州で塩業を営む徽商たちによってつくられた小劇団である。財を成した徽商たちは文化に親しんだ。文士・学者を集め、詩を詠み結社した。彼らは文化活動と文明の伝承に傾注し、胸襟を開いて他地域の文化を学び、商業活動を通して徽州の文化を全国に広め、社会の発展と繁栄に尽くした。

五、「四民同道」の徽商文化

朱子学は徽州で生まれ、王陽明は彼が説いた心学を帯して徽州に戻った。「四民異業而同道」(士・農・工・商の四種の職業は異なっても、人民の生活に奉仕するという最終目的は同じである)との教えは、徽商精神の文化を鼓舞し発揚するもので、商業及び商人の地位を、官吏、農民、職人と同等の等級に引き上げた。

徽商は、数千年の中国文明の中から生まれた。「賈而好儒」の伝統は、徽商の文化的土壌であり、力強い精神的バックボーンとなって、彼らの社会的地位と影響力を高めた。勤勉で真面目な安徽の人々は、商業を文化に昇華させ、徽商文化を拠り所として事業を興し、それは伝家の宝刀として代々受け継がれていった。

厳しい地理的環境によって、徽州の人々は土地に頼ることはできず、商いに出るしか活路はなかった。ある墓誌銘には「我が郡は山の谷に在り、富を作るには耕せる田が無く、商売に従事しなければ何を待てるか」と記されている。時は移り、「天下の民は農に従事し、徽州の民は商いに従事する」と言われるようになった。

徽州各地に点在する立派な牌坊や優美な祠堂は、徽商の同族親族に対する慰霊と報恩の気持ちを表すとともに、名誉ある家柄を世に示し、「四民同道」の教えを宣揚している。

六、日本に伝わる「徽商文化」

今日、東京・亀戸にある亀戸天神社の境内には、安徽から渡来した文房四宝を記念して、「文房至宝」と刻まれた大きな石碑が立ち、碑文には「日本の学制発展に大きく貢献してきた」と書かれている。

日本人は今日に至っても、明王朝年間に安徽からやって来た汪直を忘れることはない。彼は長崎近郊の平戸を海上貿易の拠点として、独立した「商業王国」を築いた。平戸の松浦史料博物館前には汪直の雕像が今もそびえ立っている。

さらに、安徽・休寧人の程大位がいる。彼は二十年をかけて、それまでの商売の経験を算術書『算法統宗』にまとめた。そして、1600年にこれが日本に伝わると、程大位は「算神」と呼ばれ、日本の「和算」の発展に大きな影響を与えた。

そして、日本人は、同じく安徽・休寧人の黄汴が著した『天下水陸路程』の発見に興奮した。この地理書は北京、南京および13省を繋ぐ143の水路と陸路の地勢を詳細に記録したもので、沿線の風土や人情、民族風習にも触れている。黄汴が27 年の歳月を費やして完成させたもので、1989年に山口大学で唯一の伝存本が発見され、日本人が徽商を再認識する出来事となった。

日本現代教育史に関する書物には、中国共産党の創始者の一人である陳独秀は日本に三度留学し、早稲田大学の前身である東京専門学校、成城学校、正則英語学校に学んだことが記されている。

1993年、安徽省徽劇団の初来日を記念して、日本文化財団は『三国志·美女連環巻』を編纂した。

2019年10月、世界民俗学研究センターの島村恭則センター長は、安徽省の蚌埠市博物館を訪れ、「治水をめぐる伝承と信仰―日本列島の事例」をテーマに講演を行い、日本にも存在する、治水英雄・禹王に関する文化遺産を紹介した。

2020年10月、大和文華館と毎日新聞の共催により、『墨の天地——中国安徽地方の美術』特別展が開催された。同展は「安徽の美術をはぐくむ土壌」、「透明なる山水」、「徽派版画の精華」、「憧憬の黄山」の四章から構成された。

「徽商文化」を語り尽くすことはできない。安徽人の体内には「徽商文化」の血が流れており、安徽人は自らの行動で「徽商文化」を継承し革新していかねばならない。

 

 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
 
 
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