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編集長インタビュー
 
 
 
 
新型コロナウイルス感染症治療に中薬で寄与
陳 志清 イスクラ産業株式会社代表取締役副社長
5/25/2020 10:15:51 AM  文/本誌編集長 蒋豊
 
 

新型コロナウイルス感染症が世界規模で蔓延し、収束の見通しが立たない状況だ。200人以上の軽症患者を収容治療した武漢市江夏区にある方艙医院は、中薬の煎じ薬によって一人も重症化させることなく治療し、多くの国々が中医薬の優れた功能を再認識した。

在日華僑華人や多くの日本の人々が中医薬に注目する中、その処方や感染予防知識に関する読者からの問い合わせは後を絶たない。そこで、ウィーチャットのビデオ通話を利用して、日本の著名な中医学中成薬の製薬会社であるイスクラ産業株式会社の陳志清代表取締役副社長を取材した。

不慮の出来事が結んだ縁

イスクラ産業株式会社は1960年3月1日、石川士郎によって設立され、今年「還暦」を迎えた。イスクラ産業の起業は伝染病の流行と密接に関係している。

1945年初頭、日本は敗色濃厚な中、若者を召集して戦地へ送り窮地での反撃を強いた。当時18歳の石川士郎も歴史の流れに巻き込まれ、召集されて中国瀋陽の航空機製造会社で後方勤務に携わった。半年後、日本は敗北を宣言した。石川士郎は最終盤の混乱の中で流れ弾に当たり、負傷しているところを中国の農民によって発見され救助された後、中国東北部でソ連軍の捕虜となった。

幸か不幸か、負傷した彼はシベリアに送られる道中に発熱し、ソ連領土内の駅で下車し、近くの病院に送られた。石川士郎は子どもの頃から軍国主義に洗脳され、社会主義国は極めて凶悪で、捕虜となったら一巻の終わりだと教育されてきた。彼は食事を摂ることも薬を飲むことも拒み、ソ連人の医師から拷問を受け痛めつけられるのではないかと、常にビクビクしていた。ところが意外なことに、医師や看護師はみな、彼に優しく穏和で友好的だった。敵方の捕虜を助けるために、自らが先に食事や薬を口にして安心させ、彼に勧めたのである。

この経験によって、石川士郎の中国とソ連に対する認識は完全に覆された。虐げられ侵略されてきたにもかかわらず、中国の農民は彼を救助し、敵対関係にあるはずのソ連の医師は、彼に薬を飲み食事を摂るようにと優しく勧めてくれたのである。「私の第二の人生は、中国とソ連の人民から与えられたものなのだ」。この感謝の想いを、彼は心の奥底に永遠に留めた。

感染症が引き寄せた商機

釈放されて帰還した石川士郎は、自らの経歴を踏まえ、その侵略戦争に対して強い罪悪感に苛まれた。戦争によって絶たれていた学業を続けるため、捕虜となっていた期間にかじったロシア語を活かそうと、東京外国語大学のロシア語学科に進んだ。

卒業後、彼は何度か職を変えたが、いずれも会社の倒産によるもので、別の策を講じる必要に迫られた。1960年3月、彼は相次ぐ挫折を乗り越えて起業し、会社を設立した。これがイスクラ(中国名:星火)産業株式会社である。設立当初は主に、中国との間で生活雑貨等を扱う小口の貿易を行っていた。「星火」は日本での社名登記はロシア語で火花を意味する「イスクラ」のカタカナ表記にした。この言葉が最初に登場したのはレーニン語録である。

当時、石川士郎の友人が所有するオフィスには事務机が6台置かれていたが、そこで働いていたのは5人で、1台が空いていた。彼は友人と相談し、その1台を借りることにした。友人の会社の通常業務に支障がないように、社員の退社後に出社し、社員が出社してくれば退社した。シェアオフィスの走りである

丁度この年、日本でポリオが全国的に大流行した。当時の日本にはこの感染症を治療するための医薬品を独自に開発生産する能力はなく、同時期に北米でも多くの感染者が出て、アメリカの医薬資源にも限りがあり、自国を顧みる暇すらなく、日本の要求にはまったく応えられなかった。当時、もう一つの超大国であったソ連はポリオワクチンの製造技術をもっていたが、残念ながら日ソ間の外交関係は確立されておらず、医薬品の輸入承認手続きは煩雑で、往々にして二、三年を要した。感染症の拡大は待ったなしである。子どもの命を守りたいと願う数万人の日本の母たちが政府に訴え、当局はソ連からポリオワクチンを輸入するよう迫られた。そこで、ソ連に友人がいる石川士郎が仲介し、イスクラ産業は日本初のソ連からのワクチンの輸入において一定のシェアを獲得し、初戦を見事に飾ったのである。

 

日本中医薬研究会を設立

1967年、中国から帰国した数名の日本人が、当時のイスクラ産業を探し当てた。彼らは中国で水虫の「神薬」とされる華佗膏と出会い、中国と良好な貿易を行っているイスクラ産業に華佗膏の輸入を要望した。当時、両国の国交はまだ回復しておらず、一般企業がそれらの薬品を輸入することは困難であった。華佗膏を必要としているより多くの人々に恩恵が及ぶよう、イスクラ産業は入手に成功しただけでなく、小売り事業にも乗り出すことを決断し、東京日本橋にイスクラ薬局の一号店を出店した。店の商売は幾多の困難を乗り越え、輸入する中成薬の品目も徐々に増えていった。では、次のステップとして、イスクラ産業は戦後の日本で如何にして中医薬の販路を拓いていったのであろうか。

京都に一軒の薬局を営む高名な薬剤師の岩井慶がいた。彼も石川士郎と似通った前半生を送り、戦後、中国人への感謝の思いを胸に、日本で中医薬の普及に力を注いでいた。似通った経歴と思いをもった二人は意気投合し、二人の働きかけで1986年12月、200余名の日本の中医薬従事者が北京の人民大会堂に一堂に会し、日本中医薬研究会結成大会が行われ、1987年初頭、日本中医薬研究会は正式に発足した。イスクラ産業の技術力と日本の数百店の薬局の資源を統合し、中医薬は日本で次第に影響力を持つようになった。最も多い時で、1000を超える薬局が日本中医薬研究会の会員となった。

絆を胸に中日の友誼を永遠に

ソビエト連邦が崩壊し、それまでソ連と良好な貿易関係を維持し、計画経済の恩恵を享受してきたイスクラ産業は危機に直面した。丁度この数年前、以前、イスクラ産業で働いたことのある薬剤師が中国に出張し、心臓病の治療薬である注射剤の「冠心Ⅱ号方」を発見し、優れた治療効果を感じた彼は石川士郎に日本への導入を上申し、会社はすぐに研究開発に着手した。長年にわたる努力の末、ソ連崩壊直後の1991年に中国華西医科大学との共同研究開発により、冠心Ⅱ号方は処方にわずかの調整を加えて顆粒の形で製品化に成功したのである。この中国から来た「神薬」が、ソ連の崩壊で貿易量が激減し危機に直面していたイスクラ産業を救ったのである。著名な映画監督の謝添がかつて、冠心Ⅱ号方の研究開発の物語を『丹心譜』という作品名で映画化している。中国の読者には聞き覚えがあるのではないだろうか。

石川士郎が常に語っていた言葉がある。「中国の格言に『日久しければ人の心を知る』とある。日中の貿易は友好関係があってこそ成り立つのであり、友好を維持するには三つの原則に従わなければならない。即ち、真心と継続と見かえりを求めないことだ。そうしてはじめて、両国の真の安定した長期にわたる友好は実現できるのだ」。

三十年以上前から、イスクラ産業と日本中医薬研究会は共同で、中国ハルビン市の平房区少年宮に寄付を行い、731部隊の遺跡見学など中日青少年交流活動を行っている。彼らは意識的に日本中医薬研究会の子弟たちを組織して深い歴史教育を行ってきた。そのため、イスクラ産業は日本の実業界では「異色」とされ、石川士郎は「赤い資本家」とも呼ばれた。

石川士郎は常々従業員に、中国と良好な関係を築くには中国の歴史、特に近代史と現代史を理解しなければならないと戒めていた。そして、1987年から毎年、従業員が長征のルートをたどるツアーを組織し、今ではイスクラ産業の伝統となっている。

十数年前、石川士郎は個人で寧夏回族自治区の貧困扶助基金に出資した。当地は二年前にすでに貧困から抜け出しているが、イスクラ産業は支援を継続している。当地の人々に富をもたらすために一層の支援をしていくことを自らの責務としたのである。石川士郎が創設した「中医塾」は、三十数年の歳月を経て、イスクラ中医学院と改名し、日本における中医薬の普及と後進の育成を行っている。

たった一人でイスクラ産業株式会社を立ち上げた「赤い資本家」は、我が子に継がせることなく、従業員に会社を託し、2019年に永遠の眠りについた。享年93歳であった。

 

華人として日本の有名企業の

経営に参画

陳志清は、イスクラ産業株式会社創業以来初の外国生まれの法定代表者となった。会社はまず彼の中医薬のバックボーンに目を付けた。陳志清は1984年に南京中医薬大学を卒業すると、引き続き陝西中医薬大学の温病(感染症発熱疾患)課程に進み、国医大師である張学文先生に師事した。1993年、中国衛生部に派遣されて、東京医科大学呼吸内科で学び、さらに広島大学で薬学の博士学位を取得した。1999年、確かな中医薬の専門知識を身に付けた陳志清はイスクラ産業株式会社に入社した。2013年に取締役に就き、2017年には代表取締役副社長に就任した。

陳志清は入社以来、一貫して専門知識を基盤として、会社に学術的発展をもたらし、「きらめく星ほどの小さな炎が、野原を焼く」とのイスクラ産業の宿願に向かって一歩一歩邁進した。特に、中国医学中薬による不妊治療の普及において大きな成果を収め、消費者から高い評価を得た。バブル経済時代後期の日本社会では晩婚晩育が顕著になった。イスクラ産業は中薬で体質を改善することで、高齢女性の妊娠をサポートし、人々の希望の灯となったのである。

現在、イスクラ産業には中国国内の中国医学高等教育機関を卒業した20数名の中医師がいるが、すべて華僑華人である。専門知識をもつ技術者の指導の下で、中医薬の開発と販売を行うことが企業理念の一つになっている。

薬の結合で感染症を予防

インタビューの最後に、記者は、どうすれば中医薬の効能を最大限に発揮し、合理的かつ科学的に新型コロナウイルスの感染を防止できるかという、人々が最も関心を寄せる問題について尋ねると、陳志清は次のように答えた。

「抵抗力があれば病を遠ざけることができ、免疫力を高めると同時に身体に侵入してくる邪気と毒を取り除くことが予防の鍵です。両刀使いで守と攻のバランスを保つ必要があります。例を挙げれば、人参と麦門冬を主成分とする生脈散、黄耆や白朮が主成分の玉屏風散には気を補う効能があり、五味消毒飲、銀翹散、藿香正気散は病原菌を抑えることができます。なお、セイヨウニンジン、コウケイテン、シゴカ等は日常的に服用すれば、気を補い強壮の効能があります。さらに、キンギンカ、キクカ、板藍根等はお茶代りで日常的に服用すれば解熱解毒作用があります。また、「連花清瘟」に代表される「三方三薬」は、新型コロナウイルス関連肺炎の治療において優れた補助効果が認められました。日本でもこれに相応する薬を配合して使用することが可能です」。

陳志清はさらに読者に呼びかけた。「中医薬の主な効能は、免疫力と抵抗力を高めることです。特定の煎じ薬や健康食品を盲信したり、効果を誇張するようなことがあってはなりません。感染症が猛威を振るい議論紛々の中、この困難な時期を乗り越えるには、理性的思考を維持し、専門知識を普及させることが大事です」。

(写真/イスクラ産業提供)
 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
 
 
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