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編集長インタビュー
 
 
 
 
企業経営の資格は国際的なセンス
野田 一夫 一般財団法人日本総合研究所名誉会長
2019/09/25 17:05:32  文/本誌編集長 蒋豊
 
 

野田一夫氏は、一般財団法人日本総合研究所の名誉会長、全国経営者団体連合会会長、また多摩大学、宮城大学などの初代学長として、日本の教育界と経済界双方に常に新風を起こし続け、ピーター・ドラッカーの学説の日本産業界への最初の紹介者としても有名である。1927年生まれ、今年92歳の誕生日を迎えられた野田氏に、敬愛する父君の思い出や御自身の転機となった逸話を語っていただいた。


撮影/本誌記者 原田繁


父は航空機開発の先駆者

—— 先生のお父様(野田哲夫氏:1885-1972)は三菱重工の航空機開発の技術者として、特に高揚力装置スプリット・フラットの考案者として著名な方です。また、零戦の開発で有名な堀越二郎技師(1903-1982)の上司でもありました。お父様は、どのような方で、先生はどのような影響を受けられましたか。

野田 親父は日本の航空機開発の初期の頃から敗戦に至るまで、技術の面での主導者でした。親父は盛岡の中学を出て、東大の物理学科に入りました。航空学科があると思って東大に入ったのですが、なかったので物理学科を出てからドイツへ2回留学しました。大正時代のことです。当時、第一次大戦の戦勝国はみんな「これからは航空機の時代だ」と言っていた頃のことです。

三菱重工が航空機製作所をつくったのも大正時代ですが、航空機の先駆者として三菱は親父を招いたのです。親父はエンジニアとして三菱に入り、幹部になって、第二次大戦の終戦までずっと活躍しました。零戦などの総責任者です。

しかし、戦後の日本は航空機の製作だけでなく、運航までも10年間禁じられ、航空機製造の各社も完全に解体されました。「日本における航空機の製造並びに保有は永久に禁止する」(GHQ 1945年航空禁止令。52年解除)ということで、親父は完全にリタイアしました。終戦時に親父が偉かったと思うのは、愚痴を一つもこぼさなかったことです。他人に対する批判というものが嫌いで、そういう意味では非常に日本男子らしい人でした。

終戦で180度違った進路へ

—— 先生はお父様の志を継がれなかったのですか。

野田 僕は終戦の年(1945年)は旧制高校生でした。航空機について、親父たちの世代よりもずっと進んだものをやりたくて、一生懸命勉強したのです。ところが進学希望の東大では、航空学講座がGHQによる終戦処理の一環で全講座が廃止になっちゃった(笑)。どうしたものかと思ったら、文部省は2年間の間は、理系の学生は無条件で文系へ変わっていいというのです。僕は航空学に未練がありましたが、志していた進路と180度違って、大学では「産業社会学」を専攻しました。しかし、自分の人生を振り返ると、それも面白かったと思っています。

1960年にマサチューセッツ工科大学(MIT)からポスドク(博士研究員)として招待を受けたときも、私はMITのことをよく知りませんでした。しかし親父は「MITは世界最高の大学だ」と言う。MITは経営の分野でも最高の大学だったわけですが、親父にしてみれば世界最高のエンジニア系の大学から招待されたのだから、絶対に受けろと言いました。そうした助言もあって、自分自身の人生を変えることができたのは、運がよかったのかもしれません。

企業には国際的なセンスが必要

—— ソフトバンクの創業者・孫正義氏は先生のことを師と仰いでいます。また、創業系の経営者にはシンパが多く、先生は日本経済界のゴッドファザーと呼ばれています。

野田 三菱などの巨大企業の現在の経営者は、成功するというより成功した会社に入った人です。ですから新入社員、係長、課長、部長を経て幹部になっていくわけです。その点、孫君なんかは会社員になろうという気がなかった。自分で起業するにあたって、九州から東京に出てきて、たまたま誰かに聞いて、僕のところへ来たわけです。全く無名のときで、オフィスもなかったから、日本総合研究所(1970年設立)の空いたデスクを使っていました。孫君だけじゃなくて、HISの創業者・澤田秀雄君とか、人材派遣を展開するパソナグループの南部靖之君とか、みんな行くところないから、僕のところに来ました。

—— 今、時代は「令和」です。日本経済のグローバル化にとって、国際人としてどのようにあるべきだと思いますか。

野田 令和という時代に関係なく、また企業の分野・規模に関係なく、日本では、国際的なセンスがなければ、企業そのものをやっていく資格がありません。零細な企業ならともかく、上場企業なら、直接はともかくとして間接的にも国際性が必要です。

例えば、理系か文系かという分け方は非常に日本的です。物の考え方がワンパターンです。本来、青年時代に思うことは、どの学部に行こうかということじゃなくて、何をしようかということです。そうすると、航空というのをやる場合でも、俺はエンジニアではなく経営者になるといったことを、日本ではほとんど考えません。航空学科を出て、エンジニアになるわけだけど、結局、自分がある程度の年になれば、経営者にならなければいけないのに、日本の高等教育というのは、工学部に経営学科はいらないと思っているのです。

世界は動いている

—— 先生は今まで中国には何回くらい行かれましたか。また、中国経済について、先生はどう思われますか。

野田 ずっと若い頃に2回、旅行者として行っただけです。経済のことは難しい。僕の見方としては、僕は30代~40代の若い頃にアメリカにいたから、どうしてもアメリカが先進国だという意識があります。事実、日本はアメリカを追ってきました。しかし、その後ずっと世界の情勢を見ていると、今ではアメリカは「先進国の1つ」です。先進国というと自由社会、資本主義社会でしたが、今はもう共産主義社会でも先進国が出ています。僕が若い頃に考えていたようなものと、世界の動きが違ってきています。

 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
 
 
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