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編集長インタビュー
 
 
 
 
ビジネスはトラブル解決のサポートから生まれる
永吉 志強 株式会社富久社長
2019/07/24 15:31:49  文/本誌記者 張桐
 
 

まだ情報化されていない昔は、数カ月かけて手紙のやり取りをし、遠く離れた人たちと気持ちを通わせていた。のちに、電話ができ、ネットが生まれ、声と電波の伝達は世界を小さくして、海外留学や海外での仕事はもう手の届かない冒険ではなくなった。

日本で何社も上場企業を持つ華人企業家は、留学のため来日した1990年代に一番辛かった経験は、故郷の家族に電話をすることだったと語ったことがある。1回電話のベルをならしたら、つながる前にすぐ切らなくてはならなかった。「ベルを1回ならすのは、私は元気だと伝えるためで、両親もそれで安心した。その時代の私たちのやるせない暗号だった」。無言の電話は、深い気持ちを伝えるものだった。弱い電波が中国と日本の間で躍動する脈拍を伝えたのである。

21世紀に入ると、国際テレフォンカード、ネット電話、スマートフォンが次々に普及し、今ではスマートフォンのアプリ微信(WeChat)を使えば世界中がお隣さんとなる。時代は進んでおり、科学技術は進歩している。通信方式が何度も変化を遂げた背景には、一人の在日華人の歩みがある。彼個人の奮闘記は時代の変遷を記録する備忘録となっており、また在日華人の心の交流のドキュメンタリーともなっている。

永吉志強は中国東北地方に生まれ、2001年に日本に留学した。長白山と黒竜江に囲まれた地で育った東北男子である彼は、出国の目的を率直な言葉で語った。彼の当初の目的ははっきりしていた。外国で努力して社長になること、日本という国で影響力を持つ中国人の会社を経営することだった。この目標を実現するため、大学で勉強しながら、ファーストフード店でアルバイトをした。授業とアルバイトは切れ目なく続き、毎日が忙しく一息つく時間もなかった。彼は毎日のスケジュールを一杯に埋めていたが、友人との食事のときだけはアルバイトの時間を「犠牲」にしたという。友人との会食のためにアルバイト収入がどのくらい減ってしまうかをひそかに計算しながらも、友人との付き合いはけっしてやめなかった。

ある日、会食中に友人が国際テレフォンカードを急いで買いたいという電話を受けていた。その友人が電話で少し話しただけで、箸を離す間もなく売買が成立していたのを見た永吉の頭に一つのアイディアが浮かんだ。

その時、永吉は外国での孤独な生活体験から、海外で学ぶ学生たちのふるさとの家族への心配や思いを十分に理解していた。間に高い山や大海があっても、国際電話料金が高すぎたとしても、気持ちのつながりは途切れないものだ。特に外国で学ぶ留学生たちにとって、家族の声に慰められ、声を聞くことが心の安定をもたらすのだ。

そして永吉はチャンスと見て大胆な決断をした。彼の手持ち資金の全額である20万円をすべて使って国際テレフォンカードを購入し、身近な中国人の友人たちに売り始めた。金運の神様は彼を見放さなかった。小さな資本金であったが、金を掘り当てたのだ。テレフォンカードの販売は小さなビジネスではあるが、次第に拡大していった。同時に、テレフォンカード販売の中で多くの在日華人と知り合った。現在、在日の新華僑が日本社会で占めるポジションやボリュームも大きく変化し、多くの華人が日本社会のエリートとなっている。新華僑華人たちの成功を喜ぶと同時に、目ざとい永吉は日本に来たばかりの人たちの中には、迅速なサポートが必要な人がいることに気づいた。技術を頼りに来日して成功しようという専門職の人たちや、日本に来たばかりで文化や言語の異なる社会に戸惑う留学生たち、そして彼らに付いて来日した家族たちだ。彼らは中国の家族や友人たちとのコミュニケーションによって孤独を解消し、精神的なサポートを受ける必要があるが、小さな閉鎖的グループの中にいるため、問題があっても声を上げられないのである。

こういった来日したばかりの華人の電話連絡の難しさを解消することをサポートすると同時に、永吉はその人たちのなかにはパソコンを買ってもネットに接続できなかったり、配線ができなかったりして使えていない人が多いことにも気づいた。彼らのこういった境遇に、永吉は同情したが、同時に次に進む方向を教えてくれたのである。すぐに彼はパソコンの出張据え付け、修理サービスを開始し、一人一人の顧客に対して詳しい「カルテ」を作成した。

実のところ、そのころ海外での「同胞」という言葉は良くない意味を帯びがちだった。「コネ」、「詐欺」、「1カ所で1商売」などが利益をむさぼる常套手段となっていた。永吉はその種のやり方に反発した。まず専ら中国語を話す華人華僑を相手にして、スピーディーに、親身になって信用を大事にする経営と細心の我慢強いサービスを提供した結果、華人社会では良い口コミと広範な人気を得た。「華人のトラブル解決を手伝おうとして、ビジネスにもなった」と、創業当初の時期を思い出して、永吉は感慨深く話す。

影響力の拡大に伴い、市場のニーズも絶え間なく増加している。永吉は新中華街という別名を持つ東京池袋に携帯電話ショップ「富久通信」をオープンさせた。事業は最初が難しい。店舗面積が増えると、支出も増える。人件費の節約のため、彼はコールセンターを大連に置いた。株式会社富久はこのようにして、立ち上げから中国に10名の従業員、日本に8名の従業員を抱えるグローバル企業となったのである。

事業を始めたころ、永吉はすべてを自分でやろうとし、どの従業員よりも仕事をして、病気に倒れても這ってでも出社したほどだった。「富久」は大きくなったが、自身を新たにポジショニングし直すことを考えるようになった。苦労に耐える情熱と馬鹿力だけでは会社を成長させていくことは難しいのだ。

日本では、従業員は1日単位で業務を考え、課長は1週間から1カ月の単位で業務を考え、社長は1年から数年間のスパンで業務を考えると言われる。会社をさらに発展させるため、従業員やその家族の信任に応えるため、永吉は堅実な通信業務をベースとして新たに貿易業務へ乗り出した。5年ごとに新しいものが出現するから、5年ごとに新しい起業のチャンスを得ることができる、と彼は言う。堅実な歩みで在日華人と祖国とを連動させていけば、成長のチャンスは多い。

交流の中で、文化は豊かになり、感情は深くなり、仕事は絶え間なく発展していく。富久通信は、コミュニケーションから生まれ、コミュニケーションで成長してきた。その前途はますます順風である。

 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
 
 
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