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米国「貿易圧力」の歴史
日本産業の勝敗からみえるもの
2019/07/24 13:52:54  文/劉春燕
 
 

1980年代、米国が貿易不均衡を口実に、半導体や自動車といった日本の優位産業に圧力をかけた歴史は、今も多くの日本人が昨日のことのようにありありと覚えている。その後、日本の一部の産業は徐々に国際競争の舞台から姿を消し、一部の産業はその後も発展を続けている。こうした経験や教訓は振り返る価値がある。

 

半導体分野では、80年代にダイナミックランダムアクセスメモリ(DRAM)を代表とする日本の半導体製品がグローバル市場を突如席巻した。日本の半導体産業は急速に発展し、米国の警戒を引き起こした。

1986年に調印された「米日半導体協定」を通じ、米国は日本政府へダンピング(不当廉売)輸出をやめるよう一方的に要求するとともに、日本国内のユーザーに海外製品の利用を奨励した。1991年にも米国は協定第2弾を打ち出し、海外製品の日本市場でのシェアが20%以上になるよう要求し、米国製品の対日輸出増加を強行した。

産業協定だけでなく、米国は1985年に調印された「プラザ合意」を通じ、大幅な円高を促し、日本製品の輸出競争力を削ごうとした。また関税を駆使して、日本から米国に輸出された半導体製品などに大幅な関税の上乗せを行った。

日本の「村山談話を継承し発展させる会」の藤田高景理事長は、当時のことを話し始めると記憶がありありとよみがえるという。藤田氏は取材に対して、「米国は日本がダンピングを行っていると非難し、貿易赤字に言及したが、これは口実に過ぎず、重要なポイントは日本の半導体産業が急速に発展し世界のトップクラスになり、米国に脅威を感じさせたこと、米国政府に危機感を抱かせたことにある」と述べた。

米国には日本の半導体産業に圧力をかける動機があり、多方面で圧力をかけてきたが、単純な外部からの圧力では日本の半導体産業を打ち負かすことはできなかった。実際、1986年の「半導体協定」調印後も長らく、日本の半導体製品は引き続き世界で一人勝ちの状態が続いた。

米国の集積回路を研究する企業のまとめた統計では、1990年の時点で、世界の10大半導体企業のうち、日本企業が6社を占め、トップ3にはNEC、東芝、日立が並んだ。1995年の時点でも、日本企業は4社を占め、NECが2位、東芝が3位だった。


半導体の実験作業場で関連設備を調整しているエンジニア

しかし90年代になると、日本の半導体企業のDRAM技術路線では世界のパーソナルコンピューターとスマートフォンの発展の流れに対応出来なくなった。現状に閉じこもりがちな日本の半導体企業はこうして少しずつ米国のインテルや韓国のサムスンに追い越されていった。

一方で、日本の自動車産業も同じように米国の「貿易圧力」を受けた。種々の制限に直面しながら、日本の自動車メーカーは外からの圧力を発展の原動力に変え、モデル転換とバージョンアップを実現させた。米国の圧力を受けて衰退しなかっただけでなく、世界の産業競争の中で絶えずリードを拡大した。

米日間の自動車貿易摩擦は80年代初頭にさかのぼる。当時、米国産自動車の日本市場シェアはほぼゼロに近かったのに対して、日本車の米市場シェアは20%を超え、日本は米自動車市場の最大の輸入先国となっていた。米日の自動車消費文化の違いが貿易不均衡を招いた主な原因だが、米国は同じように制裁手段によって問題の解決をはかることを決定した。

1981年、米国の圧力を受けて日本の通商産業省(当時)は米国への乗用車の輸出自粛に同意するよう迫られ、日本は輸出量を168万台に制限することにし、以降この数字を踏まえて動態調査を行うとした。これを土台に、米国はさらに日本に市場開放を迫り、米国車をもっと買うよう求めた。

大きく圧力をかけてくる米国の政策に直面し、日本の自動車産業はチャンスをとらえてモデル転換を加速した。まず日本は対米自動車輸出量に自ら制限を設けたが、輸出額は制限しなかった。こうして日本メーカーは米国に付加価値の高い製品を輸出するようになった。

次に「プラザ合意」による円高が、かえって円の購買力を高め、日本メーカーはチャンスをつかまえ、手にした利益で新しい設備と技術を買い入れ、モデル転換とバージョンアップのペースを加速した。

さらに輸出制限措置を回避するため、日本メーカーは米国に直接投資して工場を建設する動きを加速させた。例えば、トヨタは累計220億ドル(約2兆3808億円)の対米投資を行い、米国で14万人近くの従業員を雇用した。このような現地化した生産は貿易戦争のリスクを解消する上でプラスになるだけでなく、米国の消費者の日本ブランドに対する認知度を高めることにもなった。

米国の圧力に直面して、日本メーカーは低燃費で確かな品質を目指す技術開発路線を堅持し、グローバル化配置に基づく海外発展戦略を重視したとともに、「リーン生産方式」の管理理念を通じて絶えず効率を高め、コストを削減し、圧力の緩和に成功しただけでなく、米自動車工業に対するリードをさらに拡大することができた。

米日貿易摩擦の歴史を振り返ってわかることは、後発国の追いつき追い越せ式の発展プロセスは守りに入った国の警戒感を引き起こし、圧力を受けるということだ。うまく対処すれば、圧力は意味をなさなくなる。日本の関連産業の勝敗は、典型的な事例だといえる。

 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
 
 
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