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在日華僑華人の「ゼロ」を突破
関 藤清 日中芸術交流協会会長
2019/06/24 16:01:25  文/本誌編集長 蒋豊
 
 

日本で華僑華人によって立ち上げられた中日文化芸術交流団体は決して珍しくない。中でも、関藤清氏が会長を務める日中芸術交流協会は、設立から日の浅い生まれたての団体である。

しかし注目すべきは、同協会が、ありふれた名称でありながら重量感を具えていることだ。東京でも極めて地価が高い六本木に、日本で初めて中国人が自主経営するギャラリー「清アートスペース」を開設し、中日の芸術家や新進気鋭の芸術家たちの展覧会を無償で繰り返し開催し、中日の文化芸術交流の潮流に一つまたひとつと勢いよく美しい波しぶきを上げている。

30年以上にわたり、数多くの在日華僑華人を取材してきた記者として、私の主眼点は常に彼らの来日の由来にある。海外で活躍する華僑華人の業績は、彼らの渡航に際しての志と不可分である。

私は取材に先立って、氏がかつてジュエリー業界の仕事に従事していたことを知った。傍から見れば、富の光に照らされた華やかな業界である。それがさらに記者の好奇心を駆り立てた。一人の宝石商は如何にして、しとやかな芸術の世界に足を踏み入れたのであろうかと。

率直に言って、今日の中国社会においては、一部の人々は財を成すや、高尚なもの、優雅なものを追求しようとはせず、逆にそれらを自分の附属物にしようと必死である。では、関藤清会長はどのような道のりを歩んできたのだろうか。


撮影/特約記者 羅思琦

 

人とは異なる経歴

瀋陽生まれの関藤清会長は、その時代の中国の多くの若者と同様に、早くから日本の漫画に触れた。ちょうど好奇心が旺盛な年ごろに趣味に目覚めるのは自然なことであった。

しかしながら、好きな事を仕事にすることは容易なことではない。15歳の関藤清少年は、既に人とは異なる特質を覗かせていた。仲間を率いて、1995年に漫画グループ『夢少年』を立ち上げ、同人誌も発行した。彼は人生のあらゆる段階で痕跡を残した。

成人してからはアート・ディレクターとして、この分野では他を圧する成果を上げた。彼が大きな誇りとしているのは、後に彼の作品の一つが香港で大賞を受賞したことである。これらの変遷は彼が自らの道を歩んで行く上での歩行器となった。

2004年、彼は瀋陽から北京へ移った。東北の中心から国の文化の中心へ移り、さらに大きな舞台を求めて、自身の理想に向かってさらなる一歩を踏み出したのである。

北京での紆余曲折の数年間は忘れ難いものとなった。そこでのプレッシャーは想像を絶するものであり、それらの経験は彼の記憶に色濃く刻まれている。彼は音楽の才能をレコード会社の社長に見出され、ミュージシャンとして2枚のアルバムをリリースしている。そこには個人の努力もあったに違いない。人は自分の好きなことのため、事業のために努力を惜しまない時、目標の達成と成功に一歩近づくことができる。

常に次へと考えを巡らせる関藤清会長がそこで立ち止まることはなかった。彼はすぐに新たな認識に至った。

「理想は大きく描いても、現実はシビアです。曲をリリースすると言えば聞こえは良いです。制作時にいくらかいただきますが、リリース後はいくら儲かろうが関係ありません。音楽を生業にするということは、食べていけないことが不断にあるということです。理想を高く掲げることはできても、空腹ではいられません。文化の道とは一体どう歩むべきものなのかということを考えさせられました」。

その後の数年間に彼はいくつかの職業を体験し、経験を積み資金を蓄え、オンラインマーケティング等のスキルも身に付けた。さらに、国内の多くの人気アーティストのアルバムのデザインやパッケージも手掛けた。

留まることを知らない彼は、ある偶然によってジュエリー業界と出逢い、彼の経験と特長はこの業界で次第に実を結ぶ。数年のうちに、彼のオリジナリティー溢れる商品はヒットし、運営会社は急速に大きく発展した。デザイン会社、レコード会社、ジュエリー会社と多くの業界に身を投じ、様々なスキルを身に付け、絶えず交流と融合を続ける中で業種を深く広く開拓していった。そこに、早く自身の新天地を切り開きたいとの彼の内なる追求を感じた。

 

日本「爆観光」の末に

ある程度の蓄えを得、実業家の仲間入りをした関藤清会長は、それまで心の中で理想を束ねていたロープを静かに断ち切った。そして、ついに2013年、彼は「爆買い」ならぬ「爆観光」のために、一年のうちに四度来日した。

さらに、その後の数年間は「体験型観光」、「テーマ型観光」で日本を訪れている。彼は当時の自身を「クレイジートラベラー」と表現する。彼は日本の寺院や神社が大変好きで、そこに中国の古代の文化的要素が浸透していることを常に感じ、古代から今日に至るまでの両国の文化の交流、対立、融合を比較し思いを巡らせた。

同時に、常に日本各地の美術館を訪れ、一人ひとりの日本の芸術家の個展やグループ展は彼の心を揺さぶった。そして、それらの旅の過程で、ひとつの文化の道筋が彼の頭の中で次第に明瞭になっていったのである。

日本の寺院や神社には中国の古代文化の痕跡が多く残っているが、今日、日本の美術館では中国人芸術家の展示はほとんど行われていない。中国文化は古代から現代へと継承されているのに、日本ではなぜ断絶してしまったのか。この疑問は日本での旅が長くなるほどに膨らんでいった。

彼がこれまで歩んできた道のりにも、得た感動にも、無意味なものは何一つ無かった。寺院・神社めぐりによって新たにふたつのものが生まれた。ひとつは具体的な形として、2017年に日本で『黒白寺社』と題する写真集を出版した。もうひとつは壮大かつ抽象的なものではあるが、日本のアートマーケットに対するビジョンである。

思索に苦しんだが、行動は果断であった。彼は日本のアートマーケットに進出する決断を下した。この時、ある人は日本でレストランを開くことを勧め、またある人は書店を開くことを提案した。

当時、彼は芸術業界への愛情のままに、アートコレクションの分野で活躍しており、友人達の意見を聞き入れることなく、日本でギャラリーを開き、中国と日本の芸術家の作品を展示し、中日の芸術家を世に出すのだと決めた。

展示を通して、日本の芸術界と中国の芸術家が直接交流する機会をつくり、お互いの理解を深め、より大きな発展の機会をもたらすとともに、日本で古代の中国文化と現代の中国文化を繋ぐ役割を果たしたいと考えたのである。自らの行動で、永続的な文化の難題に取り組む。それは、一人の中国商人の文化に対する自覚であり、中日交流に尽くす華僑の純真な思いであった。

 

「清アートスペース」の誕生とその影響

こうして、彼は2016年に日本に進出した。事を始めるのに困難はつきものである。まず、会社登記の手続きと賃貸物件の問題が立ちはだかった。元々、ギャラリーは銀座に開設する計画であったが、家主は、中国の若い実業家が日本で芸術の仕事をするなどということが信じられず、高額な家賃を支払うことはできないだろうと契約を拒んだ。

諦めることを知らない彼は次に六本木に赴いた。「私のギャラリーは必ず、東京の高級で賑やかで国際性に富んだ場所に開きたいと思っていました。六本木は日本で最も多元的な文化の様相と芸術の息吹をもった場所です。必ずここで中日の芸術家の作品を展示するのだと決めていました」。

2017年6月、フランスのメガギャラリーの東京ギャラリーとして、「清アートスペース」が六本木にオープンした。オープニング記念展には、蓮羊、汪楚雄、任力、裴根、鄒洪元、張静雅、孫碩、周鑫匯、許峰など中国の多くの優秀なアーティストの作品が一挙に出展され、業界から大きな注目を浴びた。

開会の挨拶で関藤清会長は語った。「『清アートスペース』はアジアの現代アートを通して、人々の都市、文化、歴史、社会に対する関心と芸術創作への理解を深める目的で創設されました。芸術を通して人と人との絆を結び、現代アーティストのグローバル展開を後押しします」。

その後「清アートスペース」は、中国の著名な現代アーティストである宋琨の『阿修羅浄界』展を開催した。同展は、ユーレンス現代芸術センターで行われた展覧会の東京巡回展で、中国と日本の多くのメディアが取り上げた。

2017年から今日までに、「清アートスペース」では多くの展示会を企画し成功を収めてきた。蓮羊の『遊心』展、趙澤倫の『大漁』展、劉玉書の『時間の痕跡』展、呂娟の『花曇』展、顧洛水の『夢の如く』展、許志峰の『執剣』展、羅思琦の『東京異国人の告白』写真展、趙娜の『Animal Love』展、羅思琦の『24300km』写真展等中国人アーティストの個展。一行二禾三亭によるグループ展や上海で創作活動を展開するドイツ人アーティストCROWの個展。中日のアーティストによるグループ展『物化の際』展、『此処彼処』展、『四つのまなざし』展。丁子紅子の『沈黙する身体、あるいは真実』展、宮岡貴泉の『二元の庭』展、谷保玲奈の『交雑と伸縮』展、七菜乃の『裸の神殿 ラ・シンデン』展、千千岩修の『呼応』展等である。

これらの展示会には、消し去ることのできない東洋の情緒が滲み出ており、強烈な時代感と独立性を帯び、「清アートスペース」が掲げる自由、融合、革新の芸術理念を体現している。

展示会の継続的な開催と学術研究を通して、関藤清会長の率いる「清アートスペース」は優秀なアーティストが自由に力を発揮できるプラットフォームとなり、芸術文化の新しい力を支え育み、芸術の魅力と可能性を最大に伝え、独自の文化的視点から、グローバリゼーションの文脈で東洋の精神と美的概念の伝承、振興、革新を進めている。

さらに「清アートスペース」は、二回連続で日本最大級のアート見本市「アートフェア東京」に出展し、国際的影響力を日増しに強めている。

ビジネスでどんなに成功を収めても、彼の芸術創造に対する志は変わらなかった。2018年8月、非営利国際団体・日中芸術交流協会(JCA)が六本木で誕生した。今年、彼は自身のギャラリーで初めて自身の写真展を開催する。

ここは中国の青年実業家が東京に開設して二年に満たないアートスペースである。そこでは、中国人アーティストの作品を集中的に展示し、交流の場を提供し、若手アーティストは無償で自らの作品を展示することができる。これまで、在日華僑華人でここまでのことを成し遂げた者はいない。

関藤清会長は在日華僑華人の歴史上の「ゼロ」を突破し、中国人の海外における芸術振興の歴史に新たな一章を綴ったと言えよう。そこには彼の飽くなき追求があり、堅忍不抜の精神があり、さらには中華文化に深く根ざした心情があった。

 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
 
 
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