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人民日報海外版
 
 
 
 
歴史研究家 長田 理
戦後日本の驚異的な発展の秘話
電力民営化に関するエアーズ大佐の貢献
2018/02/27 12:58:40  
 
 

1945年(昭和20年)、太平洋戦争が終わり、占領軍総司令部(GHQ)は、戦後日本の国づくりのため、財閣解体、農地解放、電力の民営化を柱とした民主化を進めるよう提言した。

マッカーサーに率いられたGHQは占領政策と共に、日本の将来象も話し合った。つまり、農業国にするか、工業国にするか…という選択である。農業国とした場合、隣国ソ連、中国の軍事的脅威に対抗できないのは明白である。アメリカにとって、日本への復興援助は負担であり、また防衛のための軍事援助も大きな負担になる。一刻も早く、日本を自立、発展させる必要があり、当面は家内工業を発展させていくこととした。

だが、そういった産業復興に最も必要なインフラの一つは電力である。その電力供給の基盤整備に力を尽くしたのが、GHQのエアーズ大佐だった。現在も、当時のGHQに対して悪感情を抱く日本人がいるのは私も承知しているが、日本の発展にGHQが尽くしたのも確かな事実なのである。

その電力を供給する体制を整備するにあたって重要な役割を果たしたキーパーソンは2人の日米の人物である。それまで国営であった電力産業の民営化は政界、財界からの猛反対を受けていた。その反対を押し切ったのが、「電力の鬼」と言われた松永安左エ門であり、エアーズ大佐であった。

大佐は、1899年米国インデアナ生まれである。パーデユ大学を卒業、電気工学士、機械工学修士の学位を取得、インデアナガス電気会社(後に北インデアナ公益事業会社)に勤務中、アメリカの東中部電気事業の公益運営に参画した経験をもつ。その後、軍務に服し、陸軍少佐、中佐を経て陸軍大佐になった。さらに、戦後の日本の電力不足に対応するため1949年6月にGHQの経済科学局長補佐官に就任した。当時47歳である。

以後、GHQ電気ガス部長として日本の電気事業を督励する立場にあった。大佐は経験を生かし日本に合った新料金体制システムをマッカーサー元帥、トルーマン大統領に上申し、1950年、GHQは日本政府に対し、「電力の再編をせよ」とポツダム政令を発令した。ポツダム政令とは連合軍最高司令官マッカーサーからの特別命令で国会審議を経ずとも受け入れなければならない超法規的な命令である。その結果、昭和26年5月1日に、民営電力会社が発足した。

松永安左エ門の経歴も簡単に紹介しておく。

1875(明治8)年、長崎県壱岐に生まれる。89(明治23)年、16歳1月で慶応義塾舎入学、98(明治31)年、24歳で慶応大学を中退している。

1910年(明治43年)、36歳の時、九州電気株式会社設立発起人に名を連ねている。17(大正6)年、43歳の時、博多商工会議所会頭になり同時に、福岡市撰出衆議院議員に当選している。25年(大正14)年 、51歳で東京電力を発足させ、副社長に就任。30年(昭和5)年、 56歳で新潟電気社長、中部電力取締役に就任。その後36(昭和11)年、62歳で中部共同火力発電所を設立し社長に就任。49(昭和24)年、75歳で吉田総理より電機事業再編成審議会会長に指名されるなど、日本の電力事業への松永の貢献は、衆目の知るところである。

経営の神様と言われた松下幸之助は、成功の後、自社自慢のカタログを持参して小田原の松永を訪ねた。松永の自宅茶室「松下亭」で茶を楽しみながら、「(わが社の発展があったのは)あなたの御かげです」と感謝の言葉を述べたという。

 
公益事業委員会パーティ(1951年5月26日、東京)右から宮原清委員(神島化学社長)、
河上弘一委員(輸出入銀行総裁)、松永安左エ門副委員長(元・東邦電力社長)、
エアーズ大佐、一人置いて松本烝治委員長(元・商工大臣)、伊藤忠兵衛委員(元・大建産業社長)

エアーズ大佐との縁

エアーズ大佐と私の出会いは、ロサンゼルスで大佐の長女パトリシャさんとパーティで出会ったことから始まる。彼女は快活で、また日本語が上手で、非常に話しやすい女性であった。彼女が日本語を話せるのは、大佐が日本に赴任したことで、大佐の家族も日本に滞在していたためである。彼女はそのパーティで興味深いことを話した。

「日本では皇族の皆さんと折り紙をし、習字も一緒に習いました。私の父は広島に行く時に、天皇陛下のお召列車で行ったこともあります」。

さらに彼女は続けて、「長田さん、私の二男ジャニーが東京にいますから、友達になって下さい」と、ジャニーを紹介してくれた。ジャニーは慶応の幼稚舎、小学校、中学高校、大学を卒業し、当時は外資系の副社長だった。

東京でジャニーに会い、「私(長田)の実家は愛知県蒲郡にあり、風光明媚な三河湾を見下ろす所にあります」と言うと、ジャニーは訪問したいという。さっそく招待することになったが、三河湾を見下ろした彼は、「私は長く日本にいるが、こんなに素晴らしい所は初めてです」と感嘆していた。

また、「長田さん、私の父(大佐)に、この景色、日本の戦後の復興した姿を見せてやりたい。実は、父は天皇陛下から勲章を貰えるはずだったのですが…」と、何か事情がありそうで、私が「何か証拠がありますか」と尋ねると、あると言う。後日、大佐から写真、手紙、新聞記事、週刊誌、感謝状など大量の証拠書類が送られてきたのを見て驚いた。以下、いくつか紹介する。

 

5年間の貢献に対する

マーカット少将の礼状

多大な努力、卓越した能力、日本の産業復興に対する貴方のきわめて有能で真摯な努力は、貴方の多くの才能の所産であると認められ、多大な称賛に値する。特筆すべきは、貴方がきわだった方法で日本の電気事業の料金制度についての分析を行ったことである。あなたの生まれついての判断の確かさ、仕事に対する忠誠心と熱心さは占領軍(GHQ)の最終的成功に重要な貢献をなすものであった。

 
国会議員に電力エネルギーの使用について講演するエアーズ大佐(右)(1947年11月6日、国会議事堂)

公益事業委員会松本烝治委員長

松永安左衛門副委員長の礼状

貴方が5年前東京に到着した時、日本は荒廃しており経済は停滞し国民は食料も衣料もひどい状態であった。今日では日本のどこでも、とりわけ東京で窓から外を眺めてみれば、現実に復興が進んでいることがわかるであろうが、これは電力なしでは成し得なかった。それは、国民の協力と努力によるものだという人がいるかもしれないが、米国の人格高潔ですぐれた人々が復興の方法、手段を説得、提案、指示してくれなかったら成し得なかったであろう。(中略)「9電力」東京電力他は、貴方の努力の記念碑として残り存続するであろう。われわれは、日本政府及び貴方が公益事業の分野で多大な尽力をされたことを知れば、日本国民も貴方に感謝するでしょう。

 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
 
 
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