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私の日中交流史 その五
榎 善教 エノキフイルム社長
2017/09/25 15:40:07  
 
 

1965年、中国から民族歌舞団を率いて来日した中国日本友好協会理事の蔡子民氏にお会いして、私は訪中親善代表団を率いて貴国を訪れたいので、中国対外文化交流協会会長の楚図南氏に招待状を発行して頂くよう依頼しました。

実はこの頃、毛沢東主席が大躍進政策以降苦境にあるとの報道があり、日本華僑総会の方々や友好人士達は非常に心配していました。

そこで、私が代表して行って来ましょうと、皆さんからのお見舞いの手紙や日本で翻訳出版された「毛沢東選集」等を預かって出掛けた次第です。

それは、 1966年3月の事です。本当は一人で行きたかったが、俗にいう竹のカーテンをくぐって行くのは易しくなく、訪中親善代表団としてなんと3 0 名も率いて行く事になりました。

香港から羅湖に至り、そこに北京から中国政府の役人が7名迎えに来てくれました。

そして広州から北京、上海、杭州など半月を掛けて駈け回りました。

 


ハ達嶺にて1966年3月

北京に到着したのは1966年3月24日でした。ご存知のごとく、この日こそ文化大革命の火蓋が切って落とされた歴史的な日だったのです。ホテルのロビーに『北京晩報』(北京夕刊)があったので、何気なく開いたら不思議な見出しの記事が飛び込んで来ました。それは故事になぞらえてありましたが、それこそが文化大革命に関する最初の宣言だったのです。誠に劇的な日に北京に到着したのものです。これ以降、10年間もの間、我々の貿易外取引は難しくなって行きました。

さて、1966年の初夏のある日、出版労協の幹部が折入って頼みがあるとの事、太田区の中小メーカーの事業組合が倒産して、誰も債権会議をやる者がいないので困っているので、ぜひ君に頼みたいがどうかと言う。

そこで、業種の関係は全くないが私で良ければと安請け合いをしてしまいました。

蒲田神社の社務所を借りて、20社余りの社長、公認会計士、税理士、弁護士を相手に、拙い再建の説明をしたところ、どうした事か貴方に全てをお任せしようと衆議ー決したとの事。これは責任重大だと、それから私は2 ヶ月ばかり夢中になって働いたので、某社から受注していたアイスボックス300台を完成してお客様に納入する事が出来ました。

すると、この組合の上部団体である総評の高野実元事務局長と社会党の財務委員長である原茂先生(長野3区選出の衆議院議員)が貴方のやる事を終始拝見していましたが、これからも是非手伝って頂きたいと、なんと和田静夫先生(日本社会党構造改革派)の会社であった方円社(後に方円物産)の常務取締役に就任してしまいました。


人民大会堂にて1966年3月

当時、原茂先生の原電気は日本電信電話公社の下請けの3社の1社と言われ、本社800名、系列50社1,200 名の計 2,000名の規模でありました。

グループの財務担当の方円物産はこの原グループの主要な一員でした。

原電気は戦前から航空母艦や戦艦のレーダーを製造していて、戦後は民生用の計器製造で高い技術を誇っていました。一方、高野実先生は三鶏通商なる友好商社で山西省大同市の無煙炭の輸入業務に関係していました。また、原茂先生はポケットマネーで社会党の財政を援けていて、岩井章全労議長、太田薫総評事務局長も原茂先生に依るところ大であったと思います。

ある日、グループの一員である検波装置専門の製造会社から私に相談があり、米国から中国に帰国したロケット工学の銭学森先生の研究に協力するため、10名の技術者を北京に派遣したいがその間の資金繰りを頼むとの事。もとより、中国のためになるならどんな事でもするぞと私は即座に唆呵を切ったものです。

 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
 
 
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