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運命を変える結婚、「大逆転」の道
2017/07/24 22:11:43  文/本誌記者 蒋豊
 
 


横浜・三渓園を案内してくださった園長の加藤祐三・横浜市立大学名誉教授(中央)、左が著者

「男は職業の選択の間違いを恐れ、女は結婚相手の選択の間違いを恐れる」という中国のことわざがあるが、現在では俗っぽく「誰と一緒になるかが重要」とも言われ、中国の女性の間では「結婚は運命を変える」という言葉が流行っている。

2017年6月10日はそよ風の吹く素晴らしい天気だった。『日本新華僑報』社の女性社員である董文琳と陳傑との披露宴が、日本一美しい庭園といわれる横浜・三渓園でおこなわれた。『日本新華僑報』編集長である私は、とても感慨深かった。新郎の陳傑はかつて日本で数年間、中国人研修生として働いていた、いわば労働力を売る外国人単純労働者であった。

しかし、帰国後は他の中国人研修生のように長年の労働の結晶である貯金で立派な家を建てることはせず、未来のために自身に投資したのである。彼は再び日本に留学し、日本企業に就職、そこで日本で学んでいた董文琳と知り合い、縁を結んだのだ。この新米夫婦にとって、「結婚は運命を変える」は、含蓄のある意味深長な言葉であろう。

幸運なことにこの日、私自身が横浜市立大学で学んでいた時の恩師であり、のちに同大学の学長を務められ、現在では三渓園の園長である加藤祐三先生がこのイベントを応援してくださった。その際、先生は三渓園の創設者である原三渓の波乱に満ちた人生を紹介してくれたが、そのなかにも「結婚が運命を変えた」ストーリーがあった。

原三渓は本名を青木富太郎という。明治維新の年、1868年に美濃の国、厚見郡佐波村(現在の岐阜県岐阜市)の村長の青木家の長男として生まれた。彼は聡明で、4歳のときに『百人一首』を暗記していたという。

彼の父はこの神童ぶりに発奮し、最高の教育を受けさせようと決心、6歳のときに村の尚友義校に、12歳のときには隣村の私塾に入れ、17歳になると大隈重信侯が創立した東京専門学校(のちの早稲田大学)に送り込んだ。彼もこれに応えて大変な勉強家となった。


旧燈明寺三重塔(重要文化財)前にて記念撮影

故郷に別れを告げ、高い志を掲げた当時の青木富太郎は、勉強家であったが、貧乏学生であるという現実は変わらなかった。21歳の年、彼は人の紹介により跡見女学校(のちの跡見学園)で歴史教師のアルバイトを始めた。そこで彼は女学生・原屋寿と知り合い、「師弟の恋」は一気に燃え上がった。

身分の違いはいつの世も恋愛の前に横たわる高い壁となる。原屋寿は当時の横浜屈指の財閥である原善三郎の孫娘であった。原善三郎は生糸貿易に携わる亀屋を創業し、日本国内で名を馳せていた。一方は村長の長男の貧乏学生、もう一方は豪商の娘、このような恋愛は結ばれないことが多いものだ。

跡見女学校の創立者である跡見花蹊は、青木富太郎を学問に取り組む前途有為な青年だと気に入っていたので、二人が思い合う様子を見て心に刻んだ。ある日、跡見花蹊は原屋寿の父である原善三郎に自分の考えを話し、一度青木富太郎に会ってほしいと頼んだ。

しかし、原善三郎は顔を真っ赤にして怒り、拒絶した。原善三郎は掌中の珠である孫娘を最高の男性に嫁がせたかった。その相手には自分の孫娘を大事にしてくれるだけではなく、原家の事業も継いで欲しかったのだ。

跡見花蹊は力を落とすこともなく、この財閥の首領である原善三郎をたびたび説得した。そしてついに、原善三郎は跡見花蹊の顔を立てるため、青木富太郎と会うことに同意した。

図らずも原善三郎がこの貧乏学生に会うと、その物静かで誠実で学識豊かなことに感心し、心のなかで「屋寿を嫁がせるのはこの男しかいない」と決めるとは、誰も予想だにしていなかった。原善三郎は跡見花蹊に深々と頭を下げて仲人を依頼したのであった。


三渓園内の古建築(重要文化財指定)「臨春閣」

そして1891年6月13日、大逆転により、ついに二人は結婚したのである。23歳の青木富太郎は「原富太郎」と改姓し、18歳の屋寿は彼の妻となった。

原富太郎がいかに家業を継いで大業を成し遂げたかはまたの機会にご紹介するが、ここで重要なのは原屋寿が金持ちの娘らしい高慢なところがまったくなかったということだ。

結婚後、彼女は玉の輿に乗った夫が冷たい目で見られないように、家の中でも外でも夫の側に付き添った。社員たちも二人の姿を見ると、「富太郎さんはすごいが、奥様はもっとすごい」とつぶやいた。仕事の合間に、原屋寿は夫に付き添って東京の骨董市場を訪ね、骨董品を収集し、芸術を愛する心を慰めた。

原富太郎が婿入りして8年後、原善三郎が世を去った。原富太郎は期待に応えるべく積極的に改革をおこない、亀屋を三井物産や三菱商事と肩を並べる大商社の原合名会社へ、また「横浜の原」から「世界の原」へと成長させた。当時、その財力によって設立したのが三渓園である。

ここまで書いてきて、私は女性作家である李碧華の言葉を思い出した。「男性の手をとって助けてはならない」。男性は身も心も相手に捧げることをよしとせず、一旦高みに登れば機会をうかがって突破するものだ。

しかし、この「助ける」にもさまざまな形がある。原三渓の妻の屋寿のような助け方は、財閥の娘という身分で夫に圧力をかけたり、リードしたりして進ませるのではなく、夫に付き添ってともに前進するという助け方なのである。

結婚は運命を変える。この言葉は実に味わい深い。董文琳、陳傑、君たちもそう思うだろう。

 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
 
 
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