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真の愛国とはスローガンではない 著名な華人企業家・陳龐湧
華人企業家・陳龐湧に聞く
2017/01/27 10:34:09  
 
 

「いわゆる愛国というのはスローガンではなく、実際に行動することだ。あきらめず、情熱によって数十年一日のごとく海外で中国の食文化を広めてきた」。「陳家私菜」の陳龐湧社長は、東京の赤坂、渋谷、丸の内、新宿、銀座、秋葉原という一等地に7店舗の正統派の中国料理店を持っている。この日本では知らない人がいない名店「陳家私菜」の社長である陳龐湧であるが、1988年に初来日した時は金もなく、知り合いもなく日本語も分からなかった。中国を出る時、両親は彼にコメを一袋と「国の外に出たら自分が中国の代表だと思って、一挙一動で中国の顔をつぶさないように」という言葉を贈ってくれただけだった。

 
「陳家私菜」について熱く語る陳社長

二度もすべてゼロに戻った

陳龐湧は手にコメ袋を下げ、両親の言葉を胸に日本の地に降り立った。日本語学校の寮はすでに満員だったため、知り合いもない彼は新宿中央公園で野宿し、のどが渇けば水道水を飲んだ。お腹が空いたら他人が捨てたパンを拾って食べた。この野宿は3カ月間も続いた。彼は工事現場でも、築地の冷凍魚の解体も、新聞配達もいわゆる「3K」の仕事は全部やった。いじめにあったり、差別をされたり、人に騙されたりもした。

アルバイトしながら学校に通い、彼は無事に大学を卒業し、百年の歴史を持つ日本で二番目の総合商社である三井物産に入社した。三井物産は1993年から連続10年間、世界500社の上位10社にランクインしている。現在でも日本の慶応義塾大学などの名門大学の卒業生が必死で就職しようとする企業である。

「人材こそが最大の財産」というのが三井物産の企業理念であり、社員に対する待遇は大変良く、落としても壊れない金の茶碗のような会社だ。しかし、陳龐湧は数年間仕事をするなかで、すべてをやすやすとこなしてしまうようになった後、自ら辞表を提出し、三井物産を離れてヒルトンホテルの厨房の下働きとなったのである。彼の人生は再びすべてゼロに戻った。

彼を知るすべての人はみな「頭がおかしくなった」と言ったが、陳龐湧は「頭がおかしくなったのではない、これは信念だ」と答えた。

 
三井物産時代の陳社長

狂ったのではなく、信念

なぜ2回も人生がゼロに戻り、「金の茶碗」を捨てレストランの下働きになったのか。陳龐湧は日本に来てすぐに、日本社会には本来の中国料理のステイタスに対する大きな誤解があることに気づいた。

例えば中国の食文化である。日本で中国料理といえば、日本人の評価は「安くて、量が多くて、満腹になる」というものだ。陳龐湧はこれを悲しく思い、「われわれ中国が誇りとする食文化は世界に対する大きな貢献であり、4000年に幾度となく進化して高みに向かっており、選ばれた材料による美食の華だ。どうして日本では『屋台料理』のように扱われるのか」と悔しい思いをした。

日本社会に長い間根付いていた中国の食文化に対する誤解を解き、材料を精選し、食と医療が高度に結びついた『医食同源』の中国文化を『屋台料理』と呼ばせないようにする、というのが陳龐湧の信念であった。

ヒルトンホテルの厨房で修業している間、「一挙一動で中国の顔をつぶさないように」した陳龐湧は、常に上司に褒められ、「中国人じゃなくて日本人みたいだ」と言われた。しかし、陳龐湧はこの言葉を「褒め言葉」とはとらなかった。彼は上司に対し、「勤勉、競争、手を抜かないのはわれわれ中国人の国民性で、中国人とはみな私のようで、私のような人間を中国人と呼ぶのです」と真剣に訴えた。

 
自ら中国・四川に赴き食材を調達

日本で中国のグルメ天国を再現

ヒルトンホテルで6年間修業した後、陳龐湧は日本の政治家や美食家たちが集まる聖地ともいえる赤坂に自身の最初の店を開業した。

赤坂は東京の一等地であり、一流のホテル、一流の料亭、多くの外国大使館が集まっている。六本木などの新しい繁華街とは違う、赤坂のもう一つの特徴は国会議事堂、首相官邸、参議院、衆議院などに代表される日本の政治家のテリトリーであることで、そのため赤坂の各大ホテルは日本の「料亭政治」の舞台ともなっているのである。

赤坂で店を持つ場合、地価が非常に高いことが予想できる。しかし、陳龐湧は後には引かなかった。中国料理を日本で美しく変身させるため、日本社会に中国食文化の精粋を理解してもらうためには、絶対に赤坂からはじめなければだめだ、もし赤坂で名前が売れれば、日本の社会の本流、上流階級に認められるということだと分かっていたのである。赤坂という土地にしか本物の価値を理解できる人はいないのだ。

店を開いた当時、売り上げを上げるため、彼は毎日深夜まで働き、店内の椅子をベッド代わりとして、風呂もキッチンで湯沸かししてなんとかした。

では、陳龐湧の作る中国料理はどのようにして高い評価を得て、日本の政治家や美食家たちの「グルメ天国」となったのだろうか。

まず、彼は四川省に行って食材を調達した。朝天辣椒、草果、川豉醤、郫県豆板醤、漢源麻椒など「陳家私菜」で使用している数十種類の香辛料はすべて彼自身が四川の現地で選んだものである。

次に、日中の融合である。中国の本場の優れた香辛料を日本の最高の食材と組み合わせる。例えば豚肉であるが、「陳家私菜」では日本の三元豚しか使っていない。冷凍品は使わず、三元豚の柔らかく新鮮な肉質を最大に保っている真空パックを用いている。

次に、有名な農場と契約し野菜の鮮度を保っていることだ。品質が高く、評判がよく、安全性が高いことでブランド品に指定されている茨城県の青果の産地である岩井農場は、彼が選び抜いた契約農場であり、毎日店に野菜が送られてくる。

現在、陳龐湧の卓越した味覚によって開発された頂天石焼麻婆豆腐は、3年連続して日本の「激辛グルメ祭り」で売上ナンバーワンとなった。これは中国料理が日本ではじめて獲得した大きな成功であり、またはじめて在日華人が獲得した栄誉である。彼は頂天麻婆豆腐だけでなく、元祖麻辣刀削麺、四川皇帝よだれ鶏、胡麻棒餃子など数多くの個性ある料理を提供しており、現在の日本で中国料理といえば、「陳家私菜」を知らない人はいないだろう。

多くの華人のレストラン経営者は陳龐湧の成功を見た後、次々に教えを乞いに来たが、アドバイスは尽きず、想像できない気前の良さで、「金を儲けたいだけでなく、本当に私と一緒に中国食文化を発揚させたければいい」と料理の作り方を彼らに教えた。多くの人が彼の奥義を持ち帰ったが、今まで維持できている店は一軒もなく、作ってはみたものの放棄したのだ。なぜだろうか。それは、陳龐湧のレシピはコストが高く、採算が取れないからだ。

仕方なく、陳龐湧は頂天石焼麻婆豆腐と頂天石焼麻婆豆腐刀削麺を日本で商標登録せざるを得なかった。それは彼のように信念を数十年持ち続けられる人が本当に少ないからである。

 
「激辛グルメ祭り」では3年連続売上№1に

一流は一流を呼ぶ

陳龐湧の赤坂の一号店で菅直人元首相、海江田万里元民主党代表など、日本の政治家、美食家たちを征服し、渋谷に開いた二号店では日本の芸能界の大御所たちを征服し、常連客とした。渋谷店の入り口は日本の芸能人と陳龐湧や従業員との記念写真で埋まっている。

中国人は大晦日の夜は一家揃って中央電視台の春節晩会を見る習慣があるが、日本人は紅白歌合戦を見る。毎年紅白歌合戦の終了後には「陳家私菜」が打ち上げ会場として貸し切りとなり、芸能界のスターたちがここに集まってテーブルを囲んでいる。

以前、ヒルトンホテルで働いていた時の上司や仕入れ業者は彼の人となりを知り、また彼が食材調達を重視し、絶対に手を抜かないことを知っているので、上質な肉や野菜は先を争って彼のところに送られてくる。

現在、「陳家私菜」の評判は広がり、日本の大手不動産会社は陳龐湧に支店の出店を頼んでくる。しかし、陳龐湧は固い信念を持っているので、「大手不動産会社が私を訪ねてくれることは私を認めてくれ、中国食文化を認めてくれたことだから、とてもうれしい。しかし、私の目的は金もうけではなく、支店展開が多すぎて早すぎれば、料理の質にも影響がある」と、忍耐強く答えている。

東京の丸の内は皇居外苑と東京駅との間にある有名な街であると同時に、日本の金融、経済の中心でもある。この街が設計された時、各国の一流のレストランが招聘されているが、一国一店舗と精選されている。中国料理レストランの代表として、「陳家私菜」が選ばれた。

しかし、陳龐湧は出店に必要な費用が高すぎたため、三菱地所からの出店の求めを断った。彼は資金を食材調達のために使いたいのである。最終的に三菱地所は彼の信念の前に折れて、一部の資金を彼に代わって立て替えることで「陳家私菜」の出店を要請した。

現在、丸の内では「陳家私菜」が唯一の中華料理店である。その他の中華料理店がどうしても手に入れられなかった好立地であるが、三菱地所は陳龐湧に対して自腹を切った。不動産企業の中の一流企業である三菱地所が認めた中華料理の一流店が「陳家私菜」なのである。

かつて「稲盛賞」を獲得し、ここ数年で最も勢いのある飲食チェーン店のオーナーは何度も陳龐湧を訪ね、提携して「陳家私菜」を展開しようと申し込んだ。承諾されれば100店舗ということだったが、陳龐湧は断った。

日本国内で663店舗、海外で100店舗近くを展開する焼き肉チェーンも陳龐湧に加盟を求めたが、これも断られた。

陳龐湧は、良いレストランは多くても7店にとどめるべきだとしている。もっと増えると流れ作業、セントラルキッチンとなってしまう。本分を守るため、自己の信念と気持ちを大事にし、彼はさまざまな提携の誘いを断ったのである。「私が追求しているのは中華食文化の頂上であり、金もうけの頂上ではない」。

陳龐湧が認めるレストランは7店舗だけとはいえ、年間の売り上げは17億円前後に上り、20軒分のレストランの売り上げに相当するのである。

近年「陳家私菜」は「東京Vシュラン」、「王様のブランチ」、「嵐にしやがれ」、「ヒルナンデス!」、「スーパーJチャンネル」、「SmaSTATION!!」、「有吉ゼミ」など多数のテレビ、「東京カレンダー」など多数の雑誌でも紹介されており、有名なグルメ雑誌『ダンチュ』、『東京一週間』、『大人の週末』などにも紹介されている。

いま7店舗を持つ社長になっても、初心を忘れず、自らも贅沢はしない。毎日従業員と一緒に働き、一緒に食事をする。中国の従業員のかわりにビザの手続きをしたり、病院に連れていったり、住む家の保証人になったり、さらには、従業員を幸せにしてあげたいという思いから、毎月の利益の50%をボーナスとして支給している。

 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
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