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〈連載〉黒船来航と洋学①
天保薪水令下の黒船来航
加藤 祐三 前都留文科大学長
2014/05/27 10:23:59  文/加藤 祐三
 
 

都留文科大学文学部英文学科創設50周年の祝典が開かれ(2014年3月15日)、記念講演「黒船来航と洋学」を引きうけた。拙著『幕末外交と開国』(2012年 講談社学術文庫)等から年表やペリー航路図等を切り貼りしたA3の大きなレジメを配布、また歴史図像の放映も行った。講演の狙いは次の3点である。

(1)ペリー提督の率いる世界最大のアメリカ東インド艦隊の来航(1853、54年の2回)。最初の出会いで発砲交戦を回避、オランダ語を介して話し合いが始まる。初回の浦賀、2回目の横浜村における交渉の具体的な模様、締結された日米和親条約(1854年)の内容と意義を明らかにする。

(2)「洋学」の意味の推移。黒船来航以降、英語を媒介とする諸学が「蘭学」(17世紀前半に始まったオランダ語を媒介とする諸学)を徐々に凌駕し、「英学」への移行が始まる。

(3)「黒船来航と洋学」の延長上に、近代日本語が生まれる。英語・英学の修得には、蘭学(オランダ語)と漢学(漢文)が使われた。漢学の素養を駆使し、英漢・漢英辞典を輸入して活用、明治前半には多くの新造漢語を創生する。これを日清戦争後に来日した清国留学生が中国語に導入した。新造漢語は現代日本語及び現代中国語に生きている。

まず(1)黒船来航の前史に触れておきたい。鎖国政策(1640年前後に始まるキリシタン禁制、外洋船の建造・所有禁止、出島のオランダ商館設置等)の成立から約150年が経過、18世紀末から異国船の漂着が増える。異国船とは、長崎に入るオランダ商船と中国商船以外の船を指す。北からのロシア船、東からのアメリカ船、西からのイギリス船やフランス船である。

国際政治の変動に伴い、幕府の対外政策は三転する。寛政令(1791年)と文化令(1806年)は主にロシア船に対する薪水供与の穏健策、次の文政令(1825年)は逆に対外強硬策(無二念打払令)、そして天保薪水令(1842年)で穏健策に復帰する。

この穏健策復帰の政策転換は、アヘン戦争(1839~42年)情報を収集・分析したことによる。強大なイギリス海軍の実力を知り、外洋船も軍艦も海軍も持たない状況下では、強硬策は通用しないと判断した。

天保薪水令下の1853年7月、黒船艦隊4隻(蒸気軍艦2隻と帆船2隻)が浦賀沖(神奈川県)に姿を現わす。蒸気軍艦は1600㌧~2450㌧規模の木造船で、日本の千石船(100トン級)の約20倍、蒸気走用の釜と煙突、帆走用の3本マストを備える。船体に塗る防腐剤の色から黒船の異名が生まれた。(つづく)(都留文科大学長ブログを補正、5回にわたり分載)

 
真田家の絵師が描いたポーハタン号。1852年建造の新造船、2415㌧、乗組員300人。2回目来航時の旗艦。横浜市中央図書館蔵


砲門のさらに上に甲板があり、巨大な艦船の様子が分かる。横浜市中央図書館蔵

 

加藤 祐三

<Profile>

三渓園園長(横浜)、前都留文科大学長、元横浜市立大学長。1936年(昭和11)年東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専攻博士課程中退。専門は歴史学(アジア史、文明史、文化史)。『現代中国を見る眼』(1981年、講談社現代新書)、『東アジアの近代』(1985年、講談社)、『幕末外交と開国』(2012年 講談社学術文庫)など著書多数。

 
  情報元:人民日報海外版日本月刊  
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